未だ事故を事故と言わぬ原子力ムラ
— すり替えられる原発議論 —
ニュース番組に出演させていただいていて、先週はまたぞろ、冷や汗が出てくる思いを味わった。福島第一原発で停電が発生、使用済み核燃料を冷却する貯蔵プールの温度が上昇し始めたのだ。核燃料を冷やすことができなくなれば、あの大惨事が再び引き起こされる。3・11を前に取材で入った飯舘村や浪江町の光景が目に浮かんだ。
家財も家畜もそのままに、人々は町や村を捨て、荒れ果てた田畑が広がる。すれ違うのは、パトカーだけ。あの惨劇がまた東北の人々の上に降りかかるのだ。貯蔵プールの水温が危険域に達するまで、4、5日の余裕しかない。テレビ局の報道フロアに緊張が走った。
幸いにして、翌日には配電盤が復旧、危険は去ったが、原因を聞いてまたびっくり。この配電盤はトラックの荷台に置いた仮設のもので、そこにネズミが入り込み、異常電流が流れたのだという。核燃料の冷却という命にかかわる重要施設の電気系統がいまだに仮設のまま。ネズミなどの小動物がチョロチョロしているのが現状なのだ。
そんなお粗末な原因以上に驚いたことがある。東電がこの停電を公表したのは発生から3時間もたってから。この体質はいつまでたっても変わりようがないとして、停電についての東電の発表は「事故」ではなく「事象」。東電によると「原子力の世界では放射性物質の影響が出ない限り、事故ではなく、事象」。
つまり、停電は危険を伴う事故ではなく、あくまで「こんな現象が起きていますよ」という事象にすぎないというのだ。原発事故対応の三大原則、「止める、冷やす、閉じ込める」の「冷やす」ができなくなって貯蔵プールの水温が急上昇、核燃料が干上がる危険性があったとしても、「こんなことが起きている」という事象の一つだとしているのだ。
まさに原子力ムラのプールに首までつかったこの発想。だが、私たちの社会は原発に関して、その原子力ムラの体質を徹底的に糾弾することもなく、いつの間にか活断層さえなければ再稼働は即OKの流れ。原発論議は活断層議論にすり替えられてしまった。数百キロに及ぶ放射能汚染。いまだにふるさとに帰れない人々が15万人。こんな小さな国が戦争もしていないのに、国土を失う愚かさ——。私たちの原発論議は、そこから始まったのではなかったのか。
ネズミ1匹が原因だった今回の停電事故。だが、私たちがいま一度、原発論議の原点に立ち返らない限り、いつか大山鳴動どころではない、手痛いしっぺ返しを食らうような気がしてならないのである。
(日刊スポーツ・西日本エリア版「フラッシュアップ」2013年3月26日掲載)
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