堺市は復興予算を受け取るべきではない
— がれき処理『検討』だけで交付金 —
3・11を前に、週末ごとに東日本大震災の被災地を訪ねる日々が続き、先週末は、やっと1カ月ぶりに大阪のわが家ですごすことができた。とは言え、心に焼きついているのは、復興どころか復旧もままならない被災地の惨状だ。何とかしなければ。一体、何ができるんだろうか。悶々とした日が続く。
そんなとき、憤るというより悲しくなるニュースに触れた。堺市が震災がれきの広域処理をめぐって、実際には受け入れをしなかったのに、受け入れを検討しただけで復興予算から86億円の交付を受けていたことが明るみに出たのだ。市民の批判に対して竹山修身市長は「財源確保は首長の責務。ありがたくいただく」と、返納の意志はないとしている。
放射能汚染の問題があって、がれきの処理が進まないなか、環境省が「受け入れ検討」だけで復興予算を交付するとした結果がこんな事態を招いたのだ。堺市ほど高額ではないにしろ、こうした「受け入れ検討」だけで復興予算を受け取ったのは、6自治体3団体に上り、総額175億円になるという。なるほど、復興予算の消化を焦る環境省が「検討でも交付金支給」を通達した以上、堺市などの対応は法や規則に触れない。だが、本当にこれでいいのか。
適切な例えかどうか心もとないが、私を含めて被災地に入る取材陣が強く心に決めていることがある。被災直後に現地では、まず、おむすびが配られ、日が経つと全国から駆けつけたボランティアの炊き出しが始まる。そうすると、心優しい被災者や炊き出しの主催者は「寒いなか、みなさんも食べて行きなさい」と声をかけてくれる。なかには、豚汁などのお碗をわざわざ持ってきてくれる方もいる。
だけど私たちは、決してそれに口をつけることはしない。「強く勧めてくれたから」「せっかくのご厚意なので」というのは言い訳にならない。そのときこそ、被災した者と被災していない者は、厳然と分けられるべきだと考えているからだ。おむすびも炊き出しも被災者のためにあるのだ。
それが復興予算となれば、なおさらだ。被災した者、被災者のお役に立った者以外は受け取るべきではないのではないか。堺市をはじめ、交付金を受け取った自治体などは、このお金がなければ明日から市民生活に支障が生じるわけではあるまい。なんとしてでも、このお金は被災地に還元すべきではないのか。
こう書きながら、昼間でもマイナス7、8度。ツララの下がった仮設住宅で、じっと春を待つ被災者の顔がいくつも浮かんでは、消える。
(日刊スポーツ・西日本エリア版「フラッシュアップ」2013年3月19日掲載)
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