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海 フラッシュアップ


変わらない風景 変わり果てた生活
— 大震災から丸2年 —

 この3週間、週末ごとに福島、宮城など東日本大震災の被災地を訪ねている。間もなくあの震災から丸2年、出演しているテレビ各局の震災報道の取材のためである。それでなくても気が重くなる取材が一層、気が重くなる。
日刊スポーツの実際の記事画像
 ややこしい言い方になるが、被災地は「変わっていない」のである。だけど、「変わってしまっている」のだ。向こう5年間で19兆円の復興予算は、どこで眠ってしまっているのか、と思いたくなるほど被災地は変わっていない。新聞もテレビもニュースは変ったことをお伝えする。変わっていないものは、ニュースにならない。だけど目の前に広がる光景は、一昨年、昨年と少しも変わっていない。

 福島県川俣町山木屋地区。計画的避難区域で、町の許可なしには立ち入りはできない。昨年夏に訪ねたときは、耕作ができなくなった田畑は一面青草。いまはすべて雪に覆われているが、荒野が広がるだけの光景は一緒だ。3月に予定されている新たな線引きでは、帰還困難区域になるだろうと言われている。

 その区域の、いまは仮設住宅で暮らす一人の区長さんとお会いした。築80年になるという屋敷には、地域に伝わる獅子舞の稽古場になる広い座敷もある。その座敷のカレンダーを見ると2011年5月。降りかかる高濃度の放射能に避難指示が出て、着の身着のままで出たあの日のままだ。

 家の外の雪を掘った地面近くに放射能の線量計をあてると、見る見る基準値の1時間当たり0.23マイクロシーベルトをはるかに超える19マイクロシーベルト。とても人が暮らせる数値ではない。区長さんの顔が悲しげにゆがむ。

 「その一方で、私の区には230ほどの家族がいましたが、いまは倍以上の500家族になるほど変わってしまっているんです」「え、人が住めなくなって家族数は減っているんじゃないですか?」「とんでもない。私たち夫婦のような高齢者は仮設に。田畑を奪われた働き手は仕事を求めて福島市内に。子どもが小さい若い夫婦は放射能を避けて県外に。だから3家族、多いところは4家族とバラバラになってしまったのです」。

 私は問い返した自分の不明を恥じた。

 そんな地域の人に国がもってきた仕事は、放射能で汚染された山の木々の伐採作業だった。「先祖が残してくれた大事な山を放射能で汚されて、その木を切る仕事ならある。これほど人の気持ちを逆撫でした話がありますか」

 テレビが決して映し出すことのできない、「変わってしまっている」3年目の被災地をなんとか伝えていきたい。

(日刊スポーツ・西日本エリア版「フラッシュアップ」2013年3月5日掲載)



NHK東日本大震災アーカイブス 証言webドキュメント
 http://www9.nhk.or.jp/311shogen/
復興支援東日本大震災- Yahoo! JAPAN
 http://shinsai.yahoo.co.jp/
東日本大震災と情報、インターネット、Google
 http://www.google.org/crisisresponse/kiroku311/



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