邪悪さを“除染”していく世の中に
— 年始に思う事 —
2013年初のこのコラム、本年もご愛読のほど、どうぞよろしく。今年は曜日の並びがよかったおかげで割りとのんびりしたお正月。いつものように京都をぶらぶらしていたのだが、2日かけて洛北から洛西まで足を伸ばしてお寺の庭や神社をめぐってきた。それにしても、この冬の京都の寒いこと。洛北ではマイナス3、4度。時折、激しく雪が舞い、比叡の山々が霞んで見える。
だけど、このめりはりの効いた寒気のせいで秋から冬にかけての紅葉は、それはそれは見事だったという。その名残のモミジやカエデの落ち葉が寺の庭や神社の石段で、うっすらと雪をかぶっている。日ごろの事件や事故、災害の取材をはなれて、ひととき、心が洗われる。
だが、そんな思いを朝方、ホテルで読んだ朝日新聞の記事が壊しにかかる。「手抜き除染相次ぐ 福島第一周辺 土や葉、川に投棄 環境省が調査」。昨年夏以降、福島の11市町村で本格化した放射能の除染作業は、ゼネコンの共同企業体(JV)が町によっては188億円という巨額な金で請け負っているが、そこで手抜きが横行しているとしている。はぎ取った土や落ち葉は袋に入れ、また洗浄に使った水もすべて回収するように義務づけられている。
しかし、実際には下請けの作業員が崖から川に落ち葉を蹴り落とし、洗浄に使った水も、そのまま側溝から川に注ぎ込ませていた。朝日新聞取材班の4人の記者は、こうした現場を計130時間、取材。記事には現場責任者の作業員が落ち葉を川に蹴り落とすまでを撮った3枚の写真も添えられていた。最近、調査報道が光る朝日新聞の見事なスクープだ。だが、この事実を突きつけられた環境省は「調査する」、ゼネコンは「確認中」。
怒りというより悲しくなってくる。私も昨夏、除染が必要ないくつかの町を取材したが、基本、国の負担とはいえ、かかる費用は小さな町でも数10億円。これではドブならぬ川に金を捨てているだけだ。
何より、放射線量が基準を下回らない限りふるさとに戻れない被災者は、こんな作業では永遠に希望が叶わないことになる。その人たちがこの実態にどんなに悲しむことか、環境省もゼネコンも、そこに思いを馳せることはできないのか。仮設住宅のベンチで物言う元気も失せていたお年寄りの顔が目に浮かぶ。
私たちの社会に、ともすれば潜り込んでくるこうした邪悪な思いや行為。そうしたものを少しでも除染していく社会にもっていきたい。雪粒の乗った落ち葉を踏みしめながら、そんな思いが去来する2013年の始まりだった。
(日刊スポーツ・西日本エリア版「フラッシュアップ」2013年1月8日掲載)
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