公正とは言えひどい腰の引けよう
— 伝える責任と選挙報道 —
振り子が大きく揺れた衆院選だった。自民が294議席の、安定どころか絶対安定多数。前回09年の民主の308議席には及ばないものの、まるで暴風雨にもみくちゃにされる船のような日本の政治である。
いつものように16日の投開票日は名古屋の東海テレビ、翌17日はテレビ朝日の「スーパーJチャンネル」の選挙特番で新たな政治地図を伝えながら、私は公示以降の今回の選挙報道はこれでよかったのか、メディアの責任放棄ではなかったのか、という思いを抱き続けていた。端的に言えば、メディア、とりわけテレビは今回、クレームを恐れて腰を引きっぱなしだったのではないか、ということである。
なにしろ12もの政党が乱立した選挙戦。全党を出演させて平等に討論することなんて所詮不可能だ。だが、議席数の多い政党に絞って議論を深めようとすると、少数政党からクレームがつく。東京のある局は、候補者の多い政党3党での討論番組を放送したところ、他の小政党から連名の抗議文を突きつけられた。
それやこれやで、私がレギュラー出演しているあるキー局の情報番組は、公示前までは毎日、記者や評論家を招いて政治報道をしていたのに選挙選が始まるや、クレームを恐れて、紅白歌合戦や亡くなられた中村勘三郎さんの話題ばかり。たしかに放送法や公選法に公正報道が規定されているとはいえ、これはひどすぎるのではないか。
とりようによっては、この規定を逆手にとって、選挙報道があると聞くやいなや、1人か2人しか議員のいない政党や聞いたこともない議員が集まって立ち上げた政党が「うちも少数とはいえ、政党だ。平等に扱え」と言って、テレビという効果的な媒体を使って、顔や名前を売り込む。彼らにとっては金もかからない、まことにおいしい選挙戦術だったことになる。
結果、選挙期間中1回しかなかったNHKの「日曜討論」には12の政党の代表が顔をそろえたものの、制限時間を設けて各党が言いたいことを一方的に訴える場面がほとんど。これではきれいごとを並べられただけで、議論の深めようもない。大きな声で、大きなことを言った者勝ちである。
期間中、私たちに聞こえてきた声で最も多かったのが、「選挙には行きたいけど、どこが信じられる政党なのか、さっばりわからない」というものだった。それが前回より10ポイントも低い59%という現憲法下最低の投票率に表れているとしたら、メディアの責任は重い。「放送法も公選法あるものか。私たちには伝えてほしいことを伝える義務がある」と啖呵を切れるメディアは出て来ないのか。
(日刊スポーツ・西日本エリア版「フラッシュアップ」2012年12月18日掲載)
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