災禍の記憶忘れぬよう台風に名前を
— 12号去り2週間 未だ大きな不安 —
紀伊半島を中心に大きな爪痕を残した台風12号が去って2週間がたつのに、未だに和歌山、奈良などで不安に怯える町村がある。週末、5か所の土砂ダムでは大雨による決壊の恐れにさらされた。土砂ダムに限らず、この台風は様々な教訓を残した。2000ミリを超える豪雨への対策。避難勧告、指示のタイミング。高齢者の避難誘導、避難所の位置……。これらの問題は長く記憶に止めるべきでないか。その教訓が次の災害に活かされる。というより、私たちはそうやって学習していくしか災害に立ち向かう方法はないのだ。
そんなことを考えていたので先週、大阪・朝日放送の夕方ニュースで私は唐突に「やっぱり台風に名前をつけよう」と提言してしまった。というのも、例えば平成21年台風9号と言われて、どんな台風だったか即座に思い出す人はまずいないだろう。これは兵庫県佐用町で、避難途中の家族をはじめ死者行方不明者20人という犠牲を出した台風だ。
では続いて平成16年台風23号。この台風で兵庫県豊岡市では走行中のバスが水没、お年寄りたちがバスの屋根で「上を向いて歩こう」を歌いながら一夜を耐えたと聞けば、鮮明に記憶が戻ってくる人もいるだろう。続いて平成3年台風19号。20年前のこの台風は風台風で、無情にも収穫間近の青森のリンゴを吹き飛ばしてしまったと言えば、ああ、そんなこともあったと思い出す人も多いはずだ。
かつては台風に名前があった。終戦直後はジェーン、キティ台風。その後は洞爺丸(1954年)、伊勢湾(1959年)台風と聞けば記憶している年輩の方もいるだろうし、名前だけは聞いたことがあるという若い人も多いはずだ。だが、調べてみると現在、国際的には、その年発生した台風に記号はつけられるが、こうした日本での命名は戦後8個目、沖永良部台風(1977年)を最後に、もう30年以上、行なわれていない。
しかし役所の慣行で西暦ではなく年号で「平成23年12号台風」といわれて、この先、どれほどの人がさて、何年前の台風だったかな、と指折り数えて西暦に換算しつつ、このたびの紀伊半島の台風と被害を思い起こしてくれることだろうか。
私が独断で名付けさせてもらうなら、この台風は「紀伊半島豪雨台風」といったところか。その方が「平成23年12号台風で妻も娘も亡くして」と言うより、はるかにこの災禍をいつまでも身近に感じることになるのではないか。それが豊かな自然と引き換えに、常に自然の猛威と向き合う私たちの、ささやかな知恵でもあるように思うのだ。
(日刊スポーツ・西日本エリア版「フラッシュアップ」2011年9月19日掲載)
|