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連載「大阪ダブル選挙」その4
平松邦夫さんインタビュー 1
〜 大切なことは中小零細企業対策 地場にお金が回ること 〜
吉富 有治
5月17日の住民投票では市民の立場から反対運動を進め、大阪ダブル選挙では府知事選か市長選に出馬するのではないかと市民や各政党から見られていた前大阪市長の平松邦夫さん。その平松さんは9月初旬、予想通り大阪府知事選への「出馬準備宣言」をした。ところが最近になって「出馬はしない」と突然の不出馬宣言。この宣言に安堵した人、がっかりした人、あるいは批判する市民の声も多く聞こえてくる。今回、その平松さんをインタビューし、出馬準備宣言から不出馬に至る本音を聞いてみた。
― 9月8日に府知事選での「出馬準備宣言」をされましたが、その意図は何か。出馬は本気だったのですか。
本気でした。ただし、自民党などが候補者を出さないで不戦敗を決め込んだ場合という条件付きでした。その意味で、出馬準備宣言は自民党などに対する尻叩きという部分があったのは事実です。幸い、栗原貴子さん(無所属、自民党推薦)という候補者が現れ、他の団体からも一定の協力を得られることがわかったので、10月16日の私のパーティー(注・大阪市内で開かれた政治資金パーティー)でも述べましたように自身の出馬は取りやめました。もし出馬すれば票が割れるので、一番喜んだのは維新の会だったでしょうね。
― 今でも一部の人や他陣営から平松さんへの批判があります。例えば「年齢を考えたら府知事なんて無理じゃないか」とか「もう十分だろう」とかです。そのような批判を平松さん自身もご承知だと思いますが、それでもなお出馬準備宣言せざるを得なかったのはなぜでしょう。
一番の理由は住民投票です。私たちは「3ヶ月100日闘争」と呼んでいますが、今年2月7日から5月17日まで運動していると、「(市長に)戻ってきてほしい」という声が想像以上に多かった。政党政治というか党派に縛られた人からすれば、私は「終った人」だったのかもしれない。その一方で、現実の私を知っている一般の人からの声援は非常に大きかったのです。仮に府知事選で自民党が不戦敗を決め込めば、ここ最近の大阪会議(注・大阪戦略調整会議。維新の会が都構想の対案だと位置づけている会議)の流れを見ていると、また混沌の4年間になるのは目に見えていました。そのため住民投票の結果を受け、次に繋げるために自分ができることは何かと一生懸命考えてきました。大阪市民の熱い思いや既成政党の限界を感じ、同時に市民の命を守るための公共(役所)のあり方を模索してきたことも出馬準備宣言の理由の1つでした。
― 仮の話、もし府知事選に出馬されて当選した場合、府知事としてどのような大阪を描こうとしていたのですか。
やはり中小企業対策、景気対策です。地域経済で大切なことは、いかに地場でお金が回るかということです。ところがアベノミクスを中心とした国の政策では、国内生産規模を抱えた輸出産業は別にして、おもてに出ている部分は例えば株を売り抜けた人が儲かった、いわゆるマネーゲームに終始しているようにも見える。マスコミの報道などではいかにも景気が良くなったかのような印象がありますが、大阪の街を歩いて商売人さんに「景気はどうでっか」と聞いてみても、「ぼちぼちでんな」などと言う人はまずいません。大半は「あかんわ」です。このような実態を間近に見るにつけ、国が進める新自由主義には限界がある。それをひっくり返すのは府独自の政策が必要となります。例えば、大阪に本社を置いてもらっている企業には総合評価入札方式(注・低価格競争にとらわれず総合的な見地から業者を評価する入札制度)を大胆な大阪方式として導入すること。例えば、府下に本社がある企業ならば公共事業の入札優先順位の評価を大幅に上げるとか、結果的に地場にお金が回るようになるのではないか。もし府知事選に出馬すればこれを公約に入れたいと思っていました。
― それは逆に言うと、いまの松井府政は中小零細企業対策が十分でなかったという認識なのでしょうか。
そのとおりです。おもてには出ていなかったように思います。
― その松井府政の評価は?
「シャドーオブハシモト」の一語です。傀儡というのか、操り人形というか、ああ、この人が知事やったんや、というとても印象の薄い感覚です。
― 平松さんは「橋下憎し」に凝り固まり、文句ばかりではないかという批判が一部にはあります。平松さんの市長時代、2人の仲は決して悪くなかったと思いますが。
当時、これほど仲の良い府知事と市長はいなかったとさえ言われたものです。来月11月初旬に橋下政治を総括する『虚飾のトリックスター』という本を出版する予定で、この本の中でも大阪を良くするために当時、私と橋下府知事がどのように動いたかも書いています。特に私が橋下さんに期待したのは、大阪府という間接行政のトップとして、大阪市と堺市を除く府下の市町村をどれだけ元気にしてくれるかというものでした。また「ぼったくりバー発言」(注・2009年4月、国の公共事業費の一部負担を自治体に求める国直轄事業負担金を巡り、当時の橋下市長は「国は『ぼったくりバー』と同じだ批判した問題)に見られる国へのファイティングポーズなどは彼の得意技ですから、国にすれば煙たい存在だと思わせる発信力を使って、大阪を元気にしてもらいたいという期待はありました。
― 実際、橋下さんは平松さんの期待通りに動いてくれたのでしょうか。
いえ、最初から「お金」の話ばかりでした。このようなことをすればこれだけお金が浮くとか、いわば経費や施策の削減でどう金をひねり出せるかの話ばかり。新自由主義というか金融資本主義というのか、儲かればいいんだという考えが目立ちました。その浮いた金をどうするといったことまではわかりませんでしたが、経費削減を自身の手柄にしたいという印象はありました。ただ市民と向き合う市長を経験した私から言わせると、公共は儲けなくていい、そこに住む人が安心・安全に暮らせる街を作ることがいかに大事かということです。また「都市格」「街の値打ち」というものも大切だということがわかってきました。それが回りまわって、結果的に固定資産税の増収や、担税能力のある人が住んでもらえる街になることに繋がるわけです。これは都市経営の基本中の基本で、だから私は街頭犯罪の撲滅や、「市民協働」という市民と役所が一体となって様々な事業を進めることをしながら街を良くする運動に力を入れました。
(つづく)
(2015年10月22日)
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