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安倍政権で初の死刑執行。文通・接見から一転して
法廷対決となった小林薫死刑囚に思う


吉富 有治


イメージ・手紙



 小林薫死刑囚の死刑が執行されました。彼を取材していた吉富さんのコメントを頂きたい——。

 2月21日は朝から自宅で原稿を書いていた。そこに、私の携帯電話に朝日新聞や東京新聞、また共同通信などからこのようなコメント依頼が相次いだ。「えっ?」と問い返す私に、電話の向こうの記者は「本日、死刑が執行されました」と冷静に繰り返していた。このとき初めて、この日に3人の死刑囚の死刑が執行され、その中に小林薫死刑囚が含まれていたことを私は初めて知ることになったのだ。


 奈良市内で小学1年生の女児が誘拐・殺害されたのは2004年11月17日のことだった。誘拐直後、女児の携帯電話から母親に送られたメールの文面は「娘はもらった」。母親は卒倒し、社会が震撼したのは言うまでもない。しかも犯人の姿はまるで見えない。子を持つ親は不安におののき、警察とマスコミは犯人探しに躍起となった。

 その犯人が逮捕されたのは、事件発生から約1ヶ月後の12月30日。その日、近畿では珍しく大雪が降るなか、私はクルマを飛ばして犯人が護送された奈良市内の警察署に向かっていた。

 逮捕されたのは、新聞配達員だった小林薫という当時36才の男。何の因果か、この男と私は手紙や接見を重ねる仲となり、その後は一転して名誉毀損裁判まで提訴される事態となった。


 小林薫死刑囚は小学4年生のときに母親を亡くしている。小林の弟となる三男が難産の末に生まれたが、その幼い生命と引き換えに母親は落命。当時の小林薫少年はその悲しみと母親への愛情、そして命の尊さを詩で訴えていた。私はこの詩の存在を知ったとき、当時は奈良少年刑務所に拘置されていた小林に手紙を書く決意をした。母親の死を目のあたりにして命の尊さを知った少年が、なぜ残虐な事件を起こしたかを知りたかったからだ。

結局、小林死刑囚とは往復で約70通の書簡を互いにやりとりするようになる。拘置所の分厚い窓越しに7回ほど面会もした。次第に私には心を開いてくれた小林死刑囚だったが、法廷で遺族に謝罪することだけは頑なに拒否していた。その理由を私が尋ねると、「嘘ばかり書くマスコミがいる前では、絶対に謝りたくない」と語っていた。

 その小林薫が死刑判決を受けたのは同年9月。弁護士は職権で即日控訴をしたが、それから約2週間後、小林は自ら控訴を取り下げて死刑が確定。大阪拘置所へ移送され、死刑囚になってからの文通と面会は、それ以来絶えてしまった。


 残忍な犯罪手口や遺族の感情を考えれば、いまでも死刑は当然だろうと思っている。しかし、私にはひとつだけ心に引っかかるものがあったのだ。

 小林死刑囚は公判中から「第2の宅間守になりたい」「ひとりで死にきれないから、死刑になろうと思って事件を起こした」などと訴えていた。判決が出る直前、裁判官宛てに手紙を送り、「死刑判決が出たら即座に死刑を執行してほしい」などと書き送っていたことも私は本人から直接聞いていた。また法廷で死刑判決が出された瞬間、小林がガッツポーズをしたことを新聞・テレビが報じていたことから、彼は本心から死刑を望んでいると誰もが思っていたに違いない。

 だが、私の印象は違っていた。死刑囚・小林薫は生きることを望んでいたと、いまでも確信している。


 死刑確定後、小林死刑囚は裁判のやり直しを求めて再審請求を何度も繰り返していたのだ。請求の理由は「殺人ではなく事故」というものである。女児は小林薫の手によって連れ込んだ自宅マンションの風呂で溺死させられた。しかし、小林は公判中に某月刊誌に手記を寄せ、そこでは「女の子に睡眠導入剤を飲ませて先に風呂に入れたら、勝手に溺れ死んでいた」と記していたのだ。小林死刑囚は法廷でこの「事実」を語ることは一切なかったが、これが事実なら殺人ではなく過失致死となり、死刑はあり得ない。それなのに「この事実を裁判所が認めてくれたら死刑になってもいい」とうそぶいていた。

 口では「死にたい」と言いながら、死刑が求刑できない理由で再審を訴える。この矛盾だけを捉えてみても、小林の本心がどこにあるかは明らかだろう。その点を私が2009年新春号の週刊新潮でコメントしたところ、小林死刑囚は獄中から「事実と違う」「自分の社会的評価を下げた」として、私と週刊誌編集部を名誉毀損で提訴してきた。このとき、極めて異例なことに大阪拘置所内で開かれた特別法廷において私と小林薫死刑囚は直接対峙し、言葉も交わしている。もちろん私が勝訴したが、この男とはよほど因縁が深いに違いない。

 人生に絶望でもしない限り、人は誰だって生きたいに決まっている。それは小林死刑囚も同じだろう。彼が素直に「死刑は嫌だ」と叫んだとき、自分の命の大切さと同時に、自らの手で奪った女児の命の尊さを悟ったに違いない。亡くなった母親の愛情を讃えた小学4年生の純粋な気持ちに戻れたかもしれない。


 「生きたい」と叫ばぬまま絞首刑の台へと登っていった小林薫死刑囚。そのことだけが、私には心残りである。

(2013年2月26日)


奈良小1女児殺害事件(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/奈良小1女児殺害事件
死刑願望(Google 検索)
 http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&newwindow=1&q=死刑願望
死刑確定囚リスト(犯罪の世界を漂う)
 http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/cplist.html

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