桜宮高校バスケ部主将自殺問題
〜 ついでに日本のマスコミ界に名ばかりの「入試中止」、
体罰を「善」とする校風から抜けきれるのか
吉富 有治
1人の高校生の自殺が学校教育を揺るがす事態となった。引き金となったのは、大阪市立桜宮高校で昨年12月23日に起こった、バスケットボール部主将の体罰自殺問題である。
自殺した生徒を指導していたクラブ顧問の教諭は、体罰と言うよりはむしろ暴力に近い振る舞いを日常的に繰り返していたという。さらに、桜宮高校の教職員や生徒、また一部の父兄たちは、優勝するためには仕方がないと信じてこの教諭の“体罰”を容認していたという。つまり今回の自殺問題は暴力的体質のクラブ顧問の性癖のみに起因するというよりは、学校全体に蔓延する勝利至上主義、そのための手段としての体罰容認論、これらの複合的な要素がからみ合って生んだ悲劇だったと言える。
さて、この“校風”に橋下徹市長が噛みついた。体罰を善とする校風をリセットするために体育科の高校入試を中止せよ、さもなくば予算の執行を停止すると市の教育委員会に迫っていた。その要求に対して、いや入試は続けたいと防戦一方の教育委員会と、伝統ある桜宮高校のスポーツ精神をなくさないでほしいと懇願する在校生たちがいた。また校外には、いまさら志望校の変更は無理だと動揺する受験生がいたことも忘れてはならないだろう。
ご承知のように、騒動の結末はすっきりしないものだった。教育委員会は体育科の入試を中止し、代わりに普通科へ振り替えるとの決定を下した。だが、その普通科とやらの入試要項やカリキュラムの中身をみれば、これは誰が見てもこれまでの体育科と大差はない。入試の中止に反対した長谷川惠一教育委員長が「看板の掛け替えにすぎない」と批判したのも無理はない。一連の教育委員会のやりとりを取材していた私も同じ感想だった。ところが、この結論について橋下市長は記者会見で「素晴らしい決定だ」と大絶賛。この市長の態度も、じつにすっきりしないものだと感じている。
そもそも橋下市長が訴えていたのは、(1)体罰を容認する校風を改める(2)改まるまで体育科に新入生を迎えてはならない(3)そのために同科の入試を中止すべき、以上の3点から構成される論理だった。今回の教育委員会の措置は形式的にはこの論理に沿ったものであり、市長が評価するのも一応は理解できる。
ただし、かりに今回の措置が看板の掛け替えにすぎないとの前提に立てば、実質的に(2)の「新入生を迎えてはならない」は意味を成さないことになる。もちろん、桜宮高校をはじめ教育委員会も(1)の体罰容認主義を見直し、校風も改めることだろう。これから必死になって同校の改革に取り組むものと信じたい。本来ならばクラブ顧問は刑事告発の対象とし、同時に見て見ぬふりをしていた校長と教頭の更迭もやむを得ないと私は思っている。
だがその場合でも、かりに(2)が有名無実なものなら、市長が訴えていた(3)の「入試を中止すべき」は何だったのかという疑問が湧いてくる。入試は中止したけれど、実質的に"体育科"の新入生は入学してくるわけだから、それなら最初から入試中止の必要などなかったのだ。教育委員会と桜宮高校が本気で改革に取り組む気があるのなら、むしろ体育科の新入生を迎えて共に行動しても構わないではないか。それこそ生きた教育ではないのか。
むろん教育行政に介入できない市長として、これがギリギリの選択であり、これ以上の混乱を避ける意図があったとの意見も承知している。だが穿った見方をすれば、入試中止を必至に訴えていた橋下市長の本音とは、単に世間向けの政治的パフォーマンスだったのかとも思えないでもない。
教育委員会の今回の決定が、橋下市長の怒りをこれ以上買うことを恐れての表面的な取り繕いだったのか、それとも本気で校風の改革に取り組む意志があるのかは、結局は新普通科が旧体育科の「看板の掛け替え」だったかどうかの判断にかかってくる。この証明は、桜宮高校の今後を見守るしかないだろう。
(2013年1月23日)
体罰(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E7%BD%B0
桜宮高の体罰問題(Yahoo!ニュース)
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/sakuranomiya_physical_punishment/
大阪市立桜宮高等学校 公式ホームページ
http://www.ocec.ne.jp/hs/sakuranomiya-hs/