酉年にトサカにきそうな安倍政権の天皇退位対応
大谷 昭宏
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。
さて、私がこのWEBコラムを書くのも、このところ年の始めばかり。これではまるで年頭所感ではないか。せめて今年は2、3か月置きにこのコラムでみなさまにお目にかかる努力をしていきたいと思っております。
と、こう書いておいて、いきなり天皇陛下の年頭所感、いわゆる新年の「ご感想」に話をもっていくと、陛下の所感と自分の年頭コラムを並べるとは、なんとまあ不遜なと言われそうだが、今回のコラムは昨年12月23日、83歳になられた今上陛下への思いを書かせていただく。
宮内庁は昨年12月、毎年陛下が出されている年頭所感、新年の「ご感想」を2017年、つまり今年のお正月から取りやめにすると発表した。この所感に限らず、ご自身が出される言葉については推敲に推敲を重ねられる陛下の重いご負担に考慮してのことであることは言うまでもない。この所感ばかりではない。じつは誕生日恒例の宮内記者会との会見でも、これまでは最大17項目もあった事前の質問も、昨年は1問。これも事前にしっかり準備なさる陛下のご負担を考慮した結果である。
因みに昨年2016年の年頭所感、「ご感想」は、その前年2015年が戦後70年にあたったことにふれ、「新年を迎え、改めて国と人々の平安を祈念します」と述べられている。
さて、こうした所感や質問項目の取りやめ、ないしは削減の大きなきっかけとなっているのは、言を俟つまでもなく、昨年8月8日の「お気持ち」の表明である。今回、私が年頭から怒りを込めてこのコラムに書いておきたいのは、この「お気持ち」表明で大きくクローズアップされている天皇退位の問題と、このテーマをめぐって安倍政権と安倍首相が組織した有識会議。さらには、その有識者会議がヒアリングを行った専門家とやらの、どれもこれも不遜極まりない態度についてである。
これも昨年末のことになるが、安倍政権が天皇の退位のお気持ちを知ったのは、じつは昨年8月のご表明のはるか1年前だった、と毎日新聞が報じた。だが記事によると、安倍首相がこのご意向に敏感に対応した様子はない。あらためてその後の動きを見ても、政権はまともにこのお気持ちに沿う気はなく、内閣官房の副長官クラスに皇室や皇室典範に詳しい人物を密かに登用、対応を考えさせて時間稼ぎしていたのだった。しかしながら天皇は年を重ねられ、公務も思いのままにならない状況に至り、思い余って国民へのビデオメッセージという異例の方策をおとりになったのだ。
ことここに至って、安倍政権もこれ以上、横着を決め込むわけにいかない。といって、安倍首相の政治家としての生き甲斐は、だれがなんと言おうと改憲。それも9条の撤廃だ。ここに来て天皇から退位を持ち出されては、改憲はそっちの方が優先される。なんと言ったって現憲法は1条から8条までが天皇制。女性天皇の是非や皇室典範の改正についてなのだ。そちらを先に議論されていては9条の撤廃なんて、いつのことになるやらわからない。安倍首相は歯ぎしりしたに違いない。そもそも、この人物からは陛下への尊敬、敬虔な思いは微塵にも感じられないのだ。
といって、どうしていいか自身では知恵は浮かばない。そのとき現れた、総理にとっての救世主がまさに今井尚哉総理秘書官だった。経産省出身のこの秘書官、第1次安倍内閣が首相のお腹が痛くなってあえなく崩壊したあとも、安倍さんを公私にわたって支え、第2次安倍内閣では、官房長官は「本当は菅ではなくて、今井」と言われるほどまで安倍さんの厚い信頼を得ているのだ。
「ここは私に任せて」と、有識者会議なるものを急ごしらえ。今井敬経団連名誉会長ら6人の委員で、もっともらしい協議を始めることにしたのだ。今井名誉会長のほか、なぜか宮崎緑元ニュースキャスターや慶応の清家篤塾長、それに座長は御厨貴東大名誉教授。御厨座長は65歳。一方、今井さんは87歳。親子に近い年の差だ。だから会議の実態は常に今井さんが睨みをきかせているといっていい。そして、この今井さんこそが、今井総理秘書官の叔父なのだ。今井名誉会長のかわいい甥っ子、その甥が操る安倍さんの意向を汲んで睨みをきかせてくれるのは当たり前すぎる話ではないか。もうひとつ言うと、今井家は安倍夫人、昭恵さんの姻戚筋。つまり2人の今井は、安倍さんの遠縁なのだ。
こんな小手先の小知恵で、天皇が考えに考えた末に表されたお気持ちに対応しようというのだ。そしてその不遜の極みが、この有識会議がヒアリングした16人の専門家とやらだ。もちろん、このなかには私が個人的にも存じあげ、尊敬する元判事、学者、ジャーナリストもおられる。だが、16人のうち、じつに8人までがいわゆる右派団体といわれ、国会議員が200人以上も会員になっている日本会議の中枢メンバーをなす人々だ。しかもこの8人、戦前の右翼がいいとは言わないが、命を賭けた国粋派右翼とはほど遠い存在。一昨年の安保法制の審議の際も、まともな憲法学者なら逆立ちしてもこの法制案が合憲とは言えないはず、と右派系学者までが言うなか、堂々と合憲と言ってのけ、失笑を買った政権飼い馴らし学者も入っている。
そしてああ、恥ずかしや、わが業界の、いわゆる職業右翼ジャーナリストたち。つまり自分では心にもないことと思っていても、右寄りのことを言ったり書いたりしていれば、政権からお呼びがかかり、それにともなって、たんまり原稿料や講演料が入る。だからそれを生業としている男、女。
こうした“専門家”が恥ずかしい生き方をするのは本人の勝手だが、それがヒアリングされたことをいいことに、決して多くの国民が思うはずもないことを、天皇制のあるべき姿、とりわけ退位についての陛下にお取りいただくべき姿勢として言いたい放題を口にする。これが看過できることだろうか。
発言を一番コンパクトにまとめていた週刊文春1月5日、12日合併号から一部引用させてもらう。
「宮中でお祈りくださるだけで十分」
つまり、出歩くからしんどくなる、皇居でじっとしていてくれたらいいということか。
「存在の継続そのものが国民統合の要」
何もしなくて、いるだけということを引き継いでくれたら、国民はまとまる、と言っているに等しい。それが望ましい天皇、そして国民ということなのか。
そして極めつきはこれだ。
「自分が定義し、拡大した役割を果たせないから退位したいというのはおかしい」
災害の地で被災者と膝を突き合わせたり、遠くの小島に出かけ、あるいは戦没者の慰霊にかつての激戦地を訪ねる。みんな自分が勝手にやってきたことなのに、できなくなってから辞めたいなんて勝手なことを言うな、ということか。
陛下に向かって言うべき言葉ではないことはもちろん、相手が真摯に、誠意をもって物事に当たる市井の一市民だったとしても、口にしてはならない言葉ではないだろうか。これが安倍政権の陛下と、もっと言えば人と向き合う偽らない姿なのだ。
ところで、今回の私のこのコラム、天皇の「退位」とは書いても、一度も「生前退位」とは書いていない。お気づきかもしれないが、最近、私たちのニュース報道をはじめメディアは、当初使用していた「生前退位」の文言は、すべて「退位」に置き換えている。天皇家、とりわけ皇后さまのような身近な方たちが「生前退位」という文言に強い違和感をお持ちになった。民法で「生前贈与」の反対語が「死後贈与」となるように、「生前」の対象語は「死後」である。陛下にこうした言葉を使われることに天皇家の方々が抱くやり切れない思いをそれとなく知ったメディアが自主的に「生前」という言葉を遠慮させてもらうことにしたのだ。もちろんそこに皇室からの申し出は一切ない。
ただ、あらためて考えてみるまでもなく、無神経の極みともいえる、この「生前」という表現はメディアからではなく、もとより政権から出たものである。こんなところにも、こうした言葉を使って恬として恥じない現政権の姿が垣間見える気がするのである。
(2017年1月1日)
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)-宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12
議論:天皇陛下の生前退位やご公務、あなたの考えは?(BLOGOS)
http://blogos.com/discussion/2016-08-05/emperor_official_duties/
「生前退位を認めてよい」9割超 世論調査(2016年8月21日)|日テレNEWS24
http://www.news24.jp/articles/2016/08/21/07338608.html
天皇陛下の生前退位「賛成」91% 朝日新聞世論調査(2016年9月12日):朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASJ9D4T75J9DUZPS005.html
天皇陛下の生前退位「今後すべて認める」67% : 世論調査(2016年09月13日) : YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000302/20160912-OYT1T50098.html
目指すは国民主権否定の改憲 日本会議の「危ない」正体 〈AERA〉|dot.ドット 朝日新聞出版
https://dot.asahi.com/aera/2016071100108.html