JavaScriptが使えません。 BACK(戻る)ボタンが使えない以外は特に支障ありません。 他のボタンやブラウザの「戻る」機能をお使い下さい。
本文へジャンプ サイトマップ 検索 ホームへ移動
ホーム 更新情報 フラッシュアップ スクラップブック 黒田清JCJ新人賞 活動 事務所

Webコラムのコーナートップへ
杞憂であればいいのだが‥‥

大谷 昭宏

紫陽花

 5月の半ば、やっと東日本大震災の被災地をカメラクルーとともに走ってきた。岩手の陸前高田から宮城の気仙沼、仙台まで。距離は長かったが、たった1日半の強行日程。取材というより、この2か月の間、あの悲しみと苦しみの中で私たちのニュース番組で東京のスタジオと繋いで中継に応じて下さったみなさんに、お礼を申し上げ、近況をお聞きするための旅だった。

 とは言え、この間、スタジオで延べ何十時間と見た映像と、実際の光景はあまりにも違う。どう表現していいのか、己の語彙の不足を嘆くばかりだったが、これからも日程の都合のつく限り、被災地に入りたい。知己を得た人々の今後は末永く報道し続けたい。


 さて、その一方、相変わらず、東京、大阪、そして名古屋と走り回る日常が続いている。今週はそこに福岡が加わる。そうやって被災地以外の都会から、この東日本大震災を思うとき、杞憂であってほしいと願いつつ、デジャブ(既視感)とでも言うのだろうか、ある感覚が私にまとわりついて離れない。もちろん私に戦争体験も戦時中の経験もない。だが、それはなぜか既視感となって現れるのだ。

 東京では、復興構想会議だの、復興基本法だのの会議や法律の整備に忙しい。ナントカ委員会は一時、30近くを数えた。それらが無駄とは言わない。だが、現地の現実はそんなものとは程遠い。2か月たってやったことはガレキの撤去ではない。ただ、ガレキを道の端に寄せただけではないか。そんななか、現地はもちろん、東京、大阪でもやたら目につくのは、「がんばろう 東北」「がんばろう 日本」の標語、スローガンだ。私の定宿の東京のホテルでも、スタッフは全員「GANBAROU JAPAN」のワッペンをつけている。そのこと事態を批判する気はない。だが、そこに現実と乖離した精神論がありはしないか。戦況著しく悪化するなか、「一億火の玉」「撃ちてし止まん」。これは、どこか「がんばろう‥‥」の姿と似てはいないか。あの「がんばろう」の旗や幟の下にモンペやゲートル姿の人がいた方がどこか絵になるような気がする。


 原発をめぐって日本は、あの時代のまんまではないかという声が海外で高まっているという。戦地では玉砕に次ぐ玉砕。だが、大本営は「撤退」を「転戦」と言い募り、決して敗北を認めなかった。空襲で東京も大阪の焼け野原になっているのを国民が目の当たりにしていてもラジオから流れる言葉は「被害は軽微」。他方、対外には決して真実を語らない。国際社会がいくら調査団を出そうとも、「満州国は独立国家」と言い放ったのだ。

 高濃度の放射能がバラまかれていても、国民には「ただちに健康への影響はない!」。事故から数十時間後には炉心溶融が起きていたのに、炉心どころか、格納容器にも圧力容器にも「異常ナシ」。遠く北欧の国が、アジアの放射線量のデータを出しているのに、当の日本は「出す気はない」。

 母国から真実を知らされた外国人が次々、日本を脱出すると「過剰反応」とせせら笑ってみせた。だけど、本当のことを知らされていなかったのは日本国民だけだった。まさに「あの時代」の日本であり、日本国民ではないのか。

 「避難地域」「警戒地域」からの移住。それに学校の休校、他地域の学校を借りての間借り授業。口が裂けても使いたくない言葉だろうが、まさしくこれは「強制疎開」であり、「学童疎開」ではないのか。


 メディアを総動員しての節電対策にクールビズとやら。懐かしい団扇に扇子に扇風機の出番だそうだ。節電対策を得々と語る俄評論家、いま風にいうとエコロジスト。この人たちのことを決して悪く言う気はないが、やっぱりあの時代、割烹着姿で声を張り上げた「欲しがりません。勝つまでは」を彷彿とさせてしまうのだ。

 一時ほどではないにしろ、一体、何の意味があるのかと言いたくなるような自粛ムード。隅田川の花火大会は日を遅らせての開催となったが、東京湾大華火大会は震災直後に中止を決めたままだ。様々なイベントやコンサートも「震災支援」を謳わないと、やりにくい状況は変わらない。お祭り騒ぎ、華美なことは自粛が続く。もちろん2万5000人を超える死者、行方不明者。鎮魂の気持は持ち続けたい。だが、それがそうあるべきだと強制されると、「パーマネントはやめましょう」のいやぁーな標語を思い起こしてしまうのだ。

 1936年(昭和11年)の2・26事件で決起した青年将校の思いは東北の貧困を見かねたことにあった。「彼の地では、いまも娘が売られている」。それが彼らを突き動かした。だが、その後も、政党政治は体をなさない。政争に明け暮れて、スキャンダルを暴き合う。そこに台頭してきたのが軍部だった。テモクラシーは葬り去って、国民の目と耳と口を塞いで、精神論を振り回し、あの時代へと引きずっていったのだ。


 誰かが東日本大震災を受けて、「第二の戦後」だと言ったとか。そうだろうか。私は、この復興の遅れは国民を第二の戦前、戦中に引きずり込んでいるように思えてならない。この漠然と既視感が杞憂であることを願っている。だが、その杞憂を杞憂で終わらせるためには、ほんの一握りの人たちでいい、メディアが心の隅で私の杞憂を共有してくれることを願っている。

(2011年5月30日)


てるてる坊主


東日本大震災‏(YouTube 検索)
 http://www.youtube.com/results?search_query=東日本大震災
スーパークールビズ(チャレンジ25キャンペーン)
 http://www.challenge25.go.jp/practice/coolbiz/coolbiz2011/
やさしい化粧文化史-入門編- 第15回 自粛させられたおしゃれ(ポーラ文化研究所)
 http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/muh/15.html

戻る このページのトップへ