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黒田清JCJ新人賞は、あらたな道を模索して歩み始めます

大谷 昭宏

タンチョウ


 今回のコラムは、私の事務所が中心となって続けてきた「黒田清JCJ新人賞」がこれまでの主催団体であるJCJ(日本ジャーナリスト会議)からの撤退、新たなる組織への移行を検討することになった件についてお知らせしておきたい。


 黒田清新人賞は2000年に死去された私の大先輩である故・黒田清さんの業績を偲ぶとともに、若いジャーナリストの輩出を願って2002年に創設され、昨年、2010年で9回を数えた。これまでその主催団体をJCJとし、賞の選考や毎年8月15日前後に行われる賞の授与はJCJ大賞、JCJ賞の贈賞と一緒にやらせていただいてきた。また、賞の選考については私も選考委員をつとめ、贈賞に際しても、新人賞は黒田さんのお兄さんである黒田脩さんと私が受賞者に記念のオブジェや副賞の賞金50万円を手渡してきた。

 だが、主催団体をJCJとしておくことについて、かねてより私の中に疑念が生じていた。それが昨年8月の贈賞式で、より顕著な形となり、その席上で新人賞のJCJからの撤退を事務局にお伝えすることになった。

 その後、JCJ事務局から連絡をいただいて再考を促され、柴田鉄治代表委員、阿部裕事務局長とともに、賞の今後についてだけではなく、JCJのあり方についても何度か話し合いをさせていただく機会があった。大先輩である柴田さんをはじめ、事務局の方々と真摯にこれからのジャーナリズムについて論じ合う時間をいただき、それ自体は私にとって貴重なものであった。心から感謝している。それにもとより私自身、JCJのこれまでの活動を決して否定するものではない。あの悲惨な戦争体験を経て、「ジャーナリストは2度と戦争のために、ペンを、カメラを、マイクを持つことはしない」を原点に定めた活動は50年を超え、ジャーナリストの団体としては、もっとも古い歴史を持っている。その理念はこれからも生き続けるはずである。それらが、ジャーナリストとして死の間際まで戦争と差別を憎み続けてきた黒田さんの賞を主催していただく団体として、もっともふさわしいものと私が感じる根拠であった。

 また過去9回、大量の選考対象作品を読み込んで予選通過作品を選定され、さらに選考委員会の決定を経て、受賞者への連絡、メディアリリース、贈賞式の設営と煩雑な業務をこなしてこられた事務局の方々のご苦労には、心底感謝している。

 さらに、これまでの新人賞受賞者のみなさんは、その後も地道に、かつ旺盛なジャーナリズム活動を展開され、同時に黒田清JCJ新人賞を受賞したことを誇りに思われて、折り折りにこの賞のことに触れられている。その姿を見るとき、賞の創設は意義のあるものであったと、提唱者としても、また誇りに思うところであった。

 だが、時の流れとともに、この賞の意味合いが語られなくなってきたのもまた事実だった。JCJの中で、賞について思い入れを深く持っておられた諸先輩たちが次々に鬼籍に入られるなか、いつしか授賞者にさえ、黒田脩さんをはじめ私たちが抱いている賞創設への思いを伝える機会が失われていってしまったのである。とりわけ昨年の贈賞式では、受賞者に「なぜ、あなたが黒田清新人賞なのか」「なぜ、いまの時期にあなたの作品が授賞するのか」、その意義を伝える機会さえ持つことができなかった。

 これでは名前を賞の冠にさせていただいている亡き黒田さんに失礼極まりない。また私たちの提唱によって種々、ご負担をおかけてしている黒田家のみなさんにも申し開きができない。その場で撤退を伝えざるを得なかったのである。


黒田清新人賞 記者会見
黒田清新人賞設立記者会見(2001.7)


 だが、ふり返ってみると、この一件は私にとって、ひとつの引き金だったような気もする。先に書いたように、もとよりJCJの活動を否定するものではない。ただ、私はここ数年というより、もっと前から混沌とする国際情勢、混乱の続く国内政治のなかにあって、「革新的」「進歩的」「民主的」といわれる運動に、果たして「新」や「進」、「民主」はあるのか、また、その存在意義は奈辺にありや、という思い強く抱いていたのである。

 身近なところで、これらの言葉をジャーナリストに冠してみたらいい。革新的ジャーナリスト、進歩的ジャーナリスト、民主的ジャーナリスト。もはや黴が生えたというより、古語、いや死語に近い響きを持ってはいないだろうか。

 とはいえ、私にそこからの脱却の道筋が見えているわけではない。道筋どころか、まっ暗なトンネルのなか、光を求めて手探りで歩いているような状態かも知れない。だが、道がわからないからといって、そこで歩みを止めているわけにはいかない。まして、いまの位置を居場所にも安住の地にもするわけにはいかない。歩き続けるしかない。同時に黒田清新人賞も歩き続けていかなければならない。


 主催団体をJCJから移動させたからといって、黒田清新人賞を廃止してしまう気は毛頭ない。賞を授与するシステムはこれまで通りとしつつ、いま、様々の既存の賞のなかでこの賞を主催して下さる団体がないか、接触を試みているところである。同時に「わが団体、組織こそ、この賞の主催団体としてふさわしい」というところがあったら、ぜひ手を挙げていただきたい。これまで授賞された9人の若き素晴らしいジャーナリストの弟、妹が1日も早く、また誕生することを願っている。

 黒田清新人賞が歩んで行くその道筋に、私の行くべき道もまた見えてくるような気がしている。

(2011年2月9日)
黒田清JCJ新人賞 2010年トロフィー
黒田清JCJ新人賞 2010年トロフィー(伊達伸明氏作)




JCJ(日本ジャーナリスト会議)
 http://www.jcj.gr.jp/
黒田清(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/黒田清
ジャーナリスト(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャーナリスト

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